Jan 27, 2014

Interview with Masae Sullivan by Rika Mitrik

1.     雅絵さんは日本で4人のお子さんの子育て中に奮起して勉強を始められたそうですが?

  10年間くらいどっぷり専業主婦だった頃、ある人に出会い、母親業以外のことをしてみたいと、最初は母が教えていた琴を習いはじめ、1年半で準師範の資格を取りました。カトリックの藤女子大学で英文科を卒業していたのですが、長年学業から離れていたので、一から英語の勉強をしなおそうと、中学英語の教科書から復習し始めて、英検1級などを取り、翻訳通訳の学校にも通いました。母校の藤女子大学と北海道教育大学の聴講生となって、大学院へ進み、英語を外国語として教えるTEFLの修士号と英語教員の資格を取り、自宅で英語塾を開きました。生徒さんは子供から年配の方まで様々で、それぞれのレベルに合わせて授業の準備をするのが大変でした。

2.        初めて翻訳通訳の仕事をされたのは何がきっかけだったんですか?
ECCの講師だった友達と一緒に市役所で出身地の北海道岩見沢市とアイダホ州ホカテロの姉妹都市の交流事業のお手伝いで翻訳・通訳をボランティアから始め、次第に謝礼金をもらえるようになりました。大学生のオリンピックと言われるユニバーシアードの冬季大会が91年に札幌で開催された際にはメディカルルームで通訳を務めました。イヌイットの見学者がごみ収集事業の視察に来たときには、見学施設に下見に行き、大体の話を聞いておいてから、訳語を調べて本番に臨み、なんとか視察中の通訳をこなしたという感じでした。

3.       その後どんな経緯でアメリカに来られたんですか?
ロータリークラブの奨学生制度に応募して、エリート校の大学生との競争に勝ち抜いて、200万円の奨学金と英語塾で稼いだ200万円を携えて1995年にユタ州のブリガムヤング大学に子連れ留学しました。当時子供たちは14歳、12歳、10歳、8歳。渡航費だけで8000ドルしたのですが、日本語を忘れてほしくなかったので、日本語の書籍を大量に送り、送料にも数十万円かかりました。

都市部なら留学費もかさむけれど、ユタ州は生活費も安いからと、ロータリーからの奨学金が半額にされていまいました。Philips Burns Foundationから別の奨学金をもらって、97年に修士号を取得し、教育学のInstructional SciencePh.D.プログラムに進みました。統計学などかじったことのない分野は教授のオフィスアワーに通いつめて個別指導してもらいました。しかし、途中でPh.D.を取得しても大学に勤めて研究したり教えたりするのは性に合わないことに気づき、99年頃に断念。この頃日本に残してきた主人と離婚が成立しました。
4.        ご主人であり、翻訳業のパートナーでもあるカールさんとの出会いは?
離婚後、大学で日本語とESLを教えていたカールと出会いました。同じ教育学を志していたのですが、初デードでは「翻訳したことある?」という話題で盛り上がりました。半年後に結婚。新婚早々の2000年、オーランドATAコンフェレンスに初参加しました。

5.     そのATAコンフェレンスは私も初参加だったのですが、朝食の席でご一緒にしたのが私達の出会いでしたね?
        その時理香さんにご紹介いただいたテネシー州ナッシュビルでのドキュメントレビュープロジェクトに参加し、多数のJLDメンバーに手ほどきしてもらって翻訳の基本的なコツを学びました。それ以来、ずっと翻訳の引き合いが切れたことはありません。
6.        今まで数多くのプロジェクトをこなしてこられたわけですが、成功の秘訣は何でしょう?
通訳翻訳業は自信がつくまで技能が上がるのを待っていては前に進めない職業だと思います。ちょっと背伸びして、チャレンジングな仕事にも手を出してみることで成長していくのではないでしょうか。売れる翻訳者になる要素としては、ガッツを持ち、クライアントのニーズに応える能力を磨くこと。学歴は履歴書を見てもらう時点でプラスになりますが、資格がなくてもできる職業なので若い人にはどんどんチャレンジしてほしいです。
  常に締め切りに追われる翻訳業は、大量に速く、正確にこなせる人が重宝されます。体力勝負なので、健康でバイタリティがなくては長続きしません。体力作りには普段から健康的な食事を心がけ、適度な運動が欠かせません。うちではジャイアント・アラスカン・マラミュートという大型犬を2頭飼っていて、必然的に毎日の散歩と犬ぞり訓練の練習を欠かせない環境に身を置いています。

  私の場合は、カールとチームを組んで仕事を請けているのですが、1人ずつでは半分以下の仕事しかこなせなかっただろうと思います。私は科学系、医学論文、症例研究、特許、法律など理論的に込み入った内容が性に合っているのですが、カールはビジネス一般が得意で、軍隊に長年従事したバックグランドを持ちあわせています。和英、英和翻訳ともにお互いの母国語でカバーし合えるというのは強味になっています。翻訳業は知的作業なので、頭のいい人が大勢従事されていますが、訳出した後フィードバックをもらわずにいると、いつしか高慢になり、校正されるのを批評と受け取るようになりかねません。信頼する相手から常に校正を受けることにより、自分の弱点を謙虚に受け止めることができ、向上心も湧くので、だんだんと幅広い仕事をこなせるようになってきました。

7.     今後はどのような目標を掲げていらっしゃいますか?
  子供はカールと合わせて10人いるのですが、9歳を筆頭に8人になった孫との時間も大切にしたいです。少しずつ仕事のペースを落とせるように、長男と次女に対して後継者教育を進めています。
  言語学者、Chomsky Critical theoryでは、新しい言語を学び始めた年齢が思春期前だとネイティブになることができると言われています。14歳で連れてきた長男はハイスクール卒業後に日本を恋しがって帰国したのですが、最近は英和翻訳の校正で使えるようになったきました。10歳で渡米した次女は4人の中で最もバランスの取れたバイリンガルでしょうか。まだティーネージャーだった頃に、文書をフォーマットしておいてくれるよう頼んだことがきっかけで仕事を手伝ってくれるようになり、口語表現や広告文書などは彼女のほうが得意なのことが判明しました。二十代半ばの今は、翻訳者として成長できる時期だと思います。
  CATツールは数年前からWordFastを使っていますが、仕事に追われてトレーニングに時間をかけられず、使いこなしているとは言えません。今後もっと勉強して、仕事の効率を上げられるようになりたいです。

8.        毎年コンフェレンスでお会いするようになってから13年。毎年ご活躍ぶりをお聞きするのが楽しみです。同業者としてもバイリンガル教育に取り組まれた先輩ママとしても、参考になるエピソードをたくさんお聞ききすることができました。今回でJLDアドミニストレーターは引退されますが、これからもメンバーに役立つ活動を続けていってくださいね。

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