Jan 30, 2018

機械翻訳について考える~FITコングレスとJTF翻訳祭に参加して

機械翻訳について考えるFITコングレスとJTF翻訳祭に参加して
報告者:丸岡英明

83日~5日にオーストラリアのブリスベンで開催されたFITコングレスと、1129日に東京で開催されたJTF翻訳祭に参加しました。

FITとは、Fédération Internationale des TraducteursInternational Federation of Translators)の略称で、会員は個人ではなく、世界中の翻訳者団体です。ATAも会員ですので、ATA会員は自動的にFIT会員になります。FITコングレスは3年に1回、世界各地で開催されています。次回のFITコングレスは、3年後の2020年にキューバで開催される予定です。今回の第21回コングレスには、開催地であるオーストラリアからはもちろんのこと、8月時点でATA会長であったDavid Rumsey氏を始め、世界中から翻訳者や翻訳研究者が集まりました。FITコングレスの今回のテーマは、「Disruption and Diversification」でした。

JTFは、翻訳に関わる企業、団体、個人の会員からなる産業翻訳の業界団体である日本翻訳連盟の略称であり、翻訳祭は毎年1回東京で開催されています。第28回を迎える来年の翻訳祭は20181025日~26日に京都で開催される予定ですが、残念ながらニューオーリンズで開催予定のATAカンファレンスと日程が重なってしまっています。JTF翻訳祭の今回のテーマは、「きわめよう、それぞれの道~つなげよう、言葉の世界」でした。

ATAJAT(日本翻訳者協会)などの翻訳者の団体が主催するカンファレンスが翻訳者を中心に企画・運営されているのに比べ、FITコングレスは大学で翻訳の教育や研究を行っている人の発表が多いこと、JTF翻訳祭は翻訳会社やベンダーなどの発表が多い(最近は翻訳者中心へとシフトしているようですが)ことが特徴だと思います。どちらにも共通して言えるのは、今年は機械翻訳に関するセッションが非常に多かったことです。

FITコングレスの基調講演は、モントレーのMIISMiddlebury Institute of International Studies)でも教鞭をとられていたメルボルン大学のアンソニー・ピム教授による「Translators do more than translate」でした。この講演で一番印象に残った言葉は、「We are not selling words. We are selling trust.」です。機械翻訳が進歩を続ける中で翻訳者が生き残って行くためには、機械翻訳には到底期待できないものをこの人なら提供できるという信頼を顧客から勝ち取る必要があります。では、どうすれば機械翻訳以上のものを提供できるのでしょうか?

この基調講演を始め、今回のFITコングレスで何度も耳にしたキーワードは「Singularity」(技術的特異点)でした。特にブリガムヤング大学のアラン・K・メルビー名誉教授は様々なセッションでこの概念について触れていました。Singularityとは、アメリカのフューチャリスト、レイ・カーツウェルが2005年に発表した概念であり、2045年には人工知能が人間の能力を超える技術的特異点(シンギュラリティ)に達するという考え方です。シンギュラリティ以降、人工知能の能力が人間の能力を上回るようになるため、人間は生活のための仕事をする必要がなくなり、趣味に没頭できるようになるというSFの世界のような考えです。当然、産業翻訳も機械だけで事足りるようになり、人間は文芸作品の翻訳のような創造的な活動のみに専念できるようになるのかもしれません。

問題は、シンギュラリティに達するまでの約30年間のプレ・シンギュラリティの時代です。この間は、人間はまだまだ生活のための労働を続ける必要があり、人類は人工知能との競争に曝されることになります。その中で生き残って行くためには、人工知能が不得意とすることを行っていかなければなりません。翻訳に関して人工知能が苦手なのは、文脈や微妙なニュアンスを理解することです。行間を読むなどということも機械にはできませんし、日本語のように主語を省いてしまう言語を理解することは、機械にとって難しいことです。また、曖昧な表現の中から著者の真意を把握することや、文化的背景を考慮した上で著者が言わんとしていることを正しく伝えることも、機械には無理な注文です。こうした状況は、シンギュラリティに達する直前までほとんど変わらないままであろうというのが、メルビー教授を始めとした多くの発表者の一致した見解でした。

JTF翻訳祭でも研究者やベンダーなどから機械翻訳に関するセッションが数多く行われましたが、最も興味深かったのは、翻訳者の高橋さきのさんと深井裕美子さんによる「翻訳の過去・現在・未来 ~解体新書からAI、そしてその先へ~」というセッションでした。翻訳の歴史を振り返ってみると、翻訳という活動を行うにあたり人類は様々な道具を使ってきており、その道具は時代とともに変化してきました。例えば、木版から活版印刷への技術革新、筆やペンから鉛筆と原稿用紙、タイプライター、ワープロ、パソコンへの変遷、紙の辞書や電子辞書の発達などは、翻訳者の仕事のあり方に大きな影響を及ぼしてきました。高橋さんの話で強く印象に残ったのは、「機械vs人間」というトラップにはまるのではなく、「どんな機械をどう使うか」という議論をすべきだということです。ここでも、機械は、確率論で処理するため、意味を考えないということが強調されており、講演のまとめとして、文書の用途に応じて棲み分けること、機械とのつきあい方(仕事環境)を自分で選ぶことの重要性が呼びかけられました。

機械翻訳以上のものを提供し続けるために大切なことは、機械に使われるのではなく、機械を使う側に常にいるよう心がけることだと思います。Tradosなどの翻訳支援ツール(CATツール)の弊害として、文脈や文全体の流れを考えないまま、センテンス単位のぶつ切れの翻訳を大量生産しがちになることがよく挙げられますが、そういう癖がついてしまっている人、そういう環境での仕事に慣れてしまっている人は、知らず知らずのうちに機械に使われる側に身をおいているのかもしれません。そのような仕事が人工知能に取って代わられてしまう日は、そう遠くはないのかもしれません。


その一方で、翻訳支援ツールの弊害をよく理解した上でその問題を克服し、ツールをうまく活用して質の高い翻訳を効率よく提供することができている人も数多く存在します。プレ・シンギュラリティの時代において、人工知能もツールの一つとして捉え、人工知能をうまく活用して質の高い翻訳を効率よく提供するというのも、人工知能との競争の中で生き残っていくための一つの手段となっていくのでしょう。

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